§ Gift 第1宴
『The Name is Gift』 第1宴 ー月光ー ----「名」には意味がある。 産まれ落ち、数多の神々の加護を、その名に、生命に刻み込む。 その名が体を表す様に。 魔法・宗教において真名が大きな意味を成す様に。 また、言葉そのものに宿るチカラがある様に。 その「名」を授かる者に、加護せしめる者の片鱗をも覗かせて----。 「…む、むぅ」 学園の廊下で、いま正にもらった通知表相手に唸る人影。 翡翠色のサイドテールを左右に揺らし、真っ赤な瞳で通知表を睨んでいる。 周りには、今期の自分への評価で一喜一憂している生徒たち。 その中でも一層と難しい顔をしていた。 「聞きましたわよ、フェレトさん! 今期の体術技能試験もまたトップだったんですって?」 「ふぇっ!…ああ、えぇ」 急に後ろから声をかけられ、素っ頓狂な反応をしてしまう少女、フェレト=レジーナ。 通知表を思いっきり閉じ、上半身だけで振り向く。 「まったく…、貴方には敵いませんわね…。 しかし、次はこうはいきませんわよ? わたくしがその座を奪って差し上げますわ!」 ヤレヤレといわんばかりに両手をひらひらさせたかと思うと、今度はビシッ!と指を差し宣戦布告する。 状況を把握するまで、数秒フェレトは目をぱちくりさせていた。 「えっと…、臨むトコロですわ。 来期に期待しておりますわね?」 片方の手で頬を掻きながら、取り繕う様に返答する。 それを聞いた少女は、満足そうに不敵な笑みを残し、踵を返して足音高く去って行った。 はぁ、と溜息1つ、フェレトも学校を後にする。 首都から少し離れた場所にある、この『学術都市イッフィン』。 そのほぼ中心にあるのが『ハイクォーヴァー・アカデミー』である。 国の学問・文化・芸術の中心であるイッフィンでも有数の生徒数を誇る大学園であり、その学科の分野も多岐にわたる。 「やぁっぱ今期も超えらんないなぁ…」 学園を離れ、街のショップエリアを歩くフェレトの姿。 上に通知表を掲げ、呟いている。 「姉様の成績に無理があるんだってぇ~」 独り言で愚痴りながら、歩を進めていく。 姉様とはフェレトの姉、ヴァーリ=レジーナ。 20年ばかりと、まだ歴史の少ないハイクォーヴァー・アカデミーではあるが、その中でもヴァーリは他の追随を許さない成績で中等部までを卒業している。 フェレトはいま中等部に入学して2年目。 初等部ではついにヴァーリを超える事は出来なかった。 フェレトは体術技能はズバ抜けていたが、その他の学問は平均より少し上、といったところである。 「姉様が素直に家督を継いでくれればアタシも楽なのになぁ」 やり場のない文句は、ついつい関係のないところに向くものである。 レジーナ家の家督に性別の縛りはない。 しかし、数年前にヴァーリは家督は継ぎたくないと両親に話し、現在保留状態。 その役目がフェレトに周って来る可能性もあるという事なのだ。 はぁ、とまた溜息が漏れる。 「お姉ちゃん、お母さんおどろくかな!」 「大丈夫、きっとすっごいおどろくよー!」 ふと前を見れば、まだ幼い姉弟。 嬉しそうにリボンと包装紙で綺麗に飾られた箱を抱えている。 見ているだけで仲のいい事が伝わってくる様な姉弟だった。 (フェレト、いい眺めだろう? 今日からここは私たちだけのひみつの場所だぞ!) (わー!ほんと、ねーさま?) そんな記憶にある幼い頃の会話を思い出しつつ、フェレトも嬉しくなってしまう。 曇っていた気分も、少し晴れた様な気がしていた。 「ギャハハ、お前それサイコー!」 耳に入った声に現実に引き戻されるフェレト。 姉弟の正面から、いかにもガラの悪い若者が飛び出してきた。 しかし、急な事で姉弟はそれに気付いていない。 「あ…」 声をかけようとしたフェレトだったが間に合わなかった。 予想通り、ドンッ!という音と共に2組はぶつかってしまう。 「あっ!」 「いてっ」 その拍子に持っていた箱が宙に放られてしまう。 呆気に取られて誰も反応出来ていなかった。 「っ!!」 考える前に身体が動いていた。 フェレトは箱を落とすまいと走り出していたのだ。 しかし、慌てて飛び出したために地面のわずかな隆起に気付かず、つま先を引っかけてしまった。 「あわっ!?~~っ!」 声にならない声で叫び、手をバタバタさせながら、フェレトは地面に伏していく。 その時、フェレトには世界がスローモーションに見えていた。 ばふっ 「……うー…、はれ?」 かなりの勢いで倒れたはずなのだが、それほど痛みはなかった。 バッ、と勢いよく身体を起こす。 きょろきょろと近くを見まわすが、箱は見当たらなかった。 「フェレト…、寝るのはせめて家まで待てないか?」 「え…、ね、姉様っ!?」 はっとして正面を見てみれば、揺れるセミロングの波がかった翡翠色の髪。 掌に箱を乗せ、涼しげに微笑む姉、ヴァーリの姿があった。 悪戯っぽく笑いながらフェレトの突っ伏していたところを指差す。 「へ?…、あ、カバン…」 そう、フェレトが倒れ込んだ地面には、ヴァーリの学生鞄がフェレトと地面の間に挟まれる様に投げ込まれていた。 この鞄でこけた衝撃を緩和していたのだ。 あまり感じなかった痛みの理由に納得して、身代りにダメージを受けた鞄を神妙な顔で拾い上げヴァーリに手渡す。 「気を付けろフェレト? いまのはなかなかに痛いぞ」 くすりと可笑しそうにしながらも注意する。 フェレトは赤面して、俯いてしまった。 が、すぐに顔を上げると 「そうだ、アンタ…! ごほん…あ、貴方たち、ケガはない?」 くるりと方向を変え、こけている子供たちに駆け寄るフェレト。 ヴァーリはやれやれといった顔を浮かべている。 どうやら子供たちにも大きなケガはなく、少し擦りむいている程度だった。 フェレトは安心した顔を覗かせると、またくるりと方向を変え厳しい顔つきになる。 「貴方がた、いったいどこに目をつけて歩いてますの? 大きなケガがなかったからよかったものの、少し気を付けて歩きなさいな!」 片手を腰に当て、怒り心頭の面持ちでいい寄るフェレト。 姉弟の方が慌てる様子だったが、当の若者たちは 「あぁ?そっちのガキ共がブツかって来たんだろ? だいたいお嬢ちゃんには関係ねぇよ、どきな!」 ドンッ 反省どころか、気に入らないらしく突き飛ばしてきた。 その反応に、流石に頭にきたフェレト。 ゆっくりと右の拳を握ってプルプルと震わせ始める。 「くっ…、誰がお嬢ちゃんだ…! 人が下手に出ていればぁ…」 小さな声で怒りを露わにする。 フェレトはもはや爆発寸前だった。 ぽん はっとするフェレト。 軽く叩かれた右肩にはヴァーリの手が添えてある。 そのまま手を前に出し、フェレトを制するヴァーリ。 冷笑を湛えて、すっと1歩前に出た。 「貴様ら、不注意で人にぶつかっておきながら詫びる気もない…。 あげく親切にも注意してやった私の可愛い妹にまで手を上げるとは…いい覚悟じゃないか?」 勢いはないが、ゆっくりと染み込ませる様な問答。 フェレトとは対照的であったが、その迫力は比較にもなっていない。 若者たちは明らかに怯んでいた。 「おい…あれって…」 「ああ、間違いない…」 集まってきた野次馬から、ちらほらと小さく声が上がる。 その対象がヴァーリである事に感付くフェレトだが、それがフェレトには理解出来ていなかった。 ヴァーリは少し不快そうな顔をしたが、続ける。 「ふん、興が醒めた。 気が変わらん内に消えろ」 「…お、おい!いくぞ!!」 虫でも払う動きで冷たく言い放つ。 若者たちは一目散にその場を走り去っていく。 そのまま周囲の人だかりに一通りの一瞥をくれるヴァーリ。 野次馬もまた蜘蛛の子を散らす様にいなくなった。 「ふぅ…、お前達も気を付けるんだぞ? 姉ならしっかり守ってやらんとな」 やっと優しい表情に戻ったヴァーリ。 小脇に抱えていた箱を返すと、ふっと笑ってそういい聞かせた。 フェレトもやっと一安心である。 「あ、ありがとね、お姉ちゃん!」 そういって頭を下げる姉弟に、特に反応するでもなく踵を返すヴァーリ。 呆気に取られる姉弟だったが 「じゃあ、ちゃんと気を付けて帰るのよ! じゃあねっ」 小さく手を振りながら駆け出すフェレトに、大きく手を振り返す。 しばらく幼い声が家路に着く2人の耳に響いていた。 「やっぱ敵わないなぁ」 聞こえるか聞こえないかの小さな呟き。 「ん?何かいったか?」 「なぁーんにもっ」 どこか嬉しそうな2人。 陽はもう西に落ちかけていた。 ----数日後。 晴れ間の広がる正午過ぎ。 レジーナ邸宅では、格闘術の手ほどきを受けるフェレトの姿。 相手は父・シュラグノー=レジーナ。 前大戦では「打撃王」の異名を取り、活躍した手練である。 「はははッ、まだまだその程度じゃパパは倒せんぞぉ!」 フェレトの猛ラッシュを汗の1つもかかずに捌いていく。 息を荒げながらも、攻撃の手は緩めないフェレト。 しかし、受け・流し・回避と有効打は1つも与えられない。 「ちぃっ…!はぁ…はぁ…、でやぁッ!!」 呼吸を整える間もなく追撃をかけるも、拳は捌かれ空を切る。 腕を取られ、そのままの勢いでフェレトは宙を舞った。 どさっ… 「くぅ……、ふぅ」 落ちる寸前に引っ張られた為に、ダメージはそれほどない。 大の字に寝転がり、薄い胸を上下させながら雲を眺める。 「今日は少し動きのキレが悪いぞ。 …どした、何か悩みでもあるのか?」 寝転ぶフェレトのそばにどっと腰を下ろし、顔を覗き込んで尋ねるシュラグノー。 フェレトは我が父の顔を見ながら呼吸を整える。 「…なんでもないよ。 格闘術の指導なら母様の方がいいカナ~、なんて…ねっ!」 悪戯っぽく笑ったかと思うと、身体を反り、逆立ちをする要領で顔面を狙った蹴り。 シュラグノーは、たまらず両手で受け止めながら後ろに跳んでいた。 反動で少し離れたところに腰を落とすシュラグノー。 「はっ…はっはっはっ! そうでなくちゃなぁ、流石はフェレトだ! しかし、ネフリータほどじゃあないが、パパだってまだまだ現役だぞ」 嬉々として、片手で顔を覆い笑うシュラグノー。 ネフリータ=レジーナ。 ヴァーリとフェレトの母であり、現レジーナ家の家督。 シュラグノーと同じく、前大戦では「翡翠の三日月」と恐れられた。 ちなみに、シュラグノーよりネフリータの方が断然強い。 「流石…かぁ…」 地に視線を落とし、小さく呟くフェレト。 急に大人しくなった態度にシュラグノーも不思議な顔をする。 「父様…、姉様は何で家督がイヤなのかな…? 確かに身体は強くないけど…、でも勉強だって出来るし、オトナだし…」 「フェレト…」 流石、そういわれて姉への劣等の感情が湧いてしまったフェレト。 情けないと思いつつも、同時に湧いた疑問を父にぶつける。 面食らったシュラグノーは、悩む娘の名を小さく口にする。 少し考えてから、言葉を紡ぎ始めるシュラグノー。 「ヴァーリにも…、あの子にも色々と思うところがあるのだろう。 気難しいところはあるが、そんなに身勝手な事をする子じゃあないしな。 それもあって、いまは保留してるんだが…。 ヴァーリの考えも変わるかもしれないしな」 虚空を見据えてそう疑問に答える、複雑な顔をしたシュラグノー。 父にも思うところがあるのか、フェレトにもそんな気がした瞬間だった。 「それにだ、お前もヴァーリも可愛いオレの子だ。 家督だとか難しい事はいい。 自分らしく誇り高く生きていってくれればいいんだ」 そう続けたシュラグノーは笑顔だった。 その顔を向けられたフェレトはもう何もいえない。 「第一、ネフリータに務まってるんだぞ? フェレトにだって出来るさ。 お前には女神も付いてる。 それに、お前はネフリータによく似ているからな…」 優しい顔で語り続ける。 その笑顔も優しさも、目の前の少女に伝染していく。 フェレトの心はもう前を向き光り始めていた。 「……」 不意にフェレトの目も不敵に光る。 「そんなコトいっちゃってさぁ~。 後ろに母様いるよ?」 「な、なにっ!?」 フェレトの指摘に驚き、慌てて後ろを確認するシュラグノー。 その瞬間であった。 「せいやッ!」 ボゴォッ! 「がふっ!?」 フェレトの全体重を乗せた肘打ちがシュラグノーの腹部を捕える。 不意を突かれ、シュラグノーは何の反応も出来てはいなかった。 1テンポ遅れて腹を押さえ、ゆっくりと前のめりに倒れていく。 「フェレ…ト…、お前ってヤツは…」 バタ… 「隙ありですわ、お父様~」 にやにやと、してやったり顔のフェレト。 ピクピクと痙攣している父を尻目に、悠々と邸宅へと戻っていく。 その顔は晴れやかだった。 「ふふ…、流石だよ、フェレト」 それから数週間後。 すでに陽は傾き、東の空が暗みかかっている。 西日で赤く染まるレジーナ邸は、時間にも関わらず騒がしかった。 「姉様がいなくなったぁ!?」 高らかに響き渡るフェレトの声。 朝から出掛けていたヴァーリが帰って来ていないのだ。 昼過ぎには帰ると告げていたらしいのだが、日が暮れようとしているいまになっても姿が見えない。 「姉様にしちゃ珍しい…。 どこに行くとか聞いてないの?」 「なんでも、『いつもの実験』と出がけに庭師と話されたそうなんですが…」 『いつもの実験』。 魔法科学に関して秀でたヴァーリは、志を同じとする者と一緒によく実験を行っている。 フェレトも何度か話を聞いた事はあったが、場所は聞いても秘密にされていた。 腕を組んで考え込むフェレト。 「おっ、お嬢様!」 唐突な声に反応し、振り向くフェレト。 家の正面側から走り寄ってくる使用人の姿が見えた。 見るからに慌てた様子で、額には汗が滲んでいる。 「慌ててどしたの。 姉様から連絡でもあった?」 「そ、それが…、いま玄関先にこれが…」 見れば手には1枚の紙切れを持っている。 疑問を抱きながらも、フェレトはその紙切れに手を伸ばした。 目を見開き、みるみる内に顔色が悪くなっていく。 『娘は預かった』 短く、その1文だけが紙切れには綴られていた。 フェレトは驚きのあまりか、紙切れを手にしたまま動けないでいる。 「お嬢様、旦那様と奥様にも連絡致します!」 「あ…、えぇ、お願い」 力なく生返事するフェレト。 シュラグノー、ネフリータ共に会合で出掛けており数日帰ってくる予定はなかった。 いま連絡しても、すぐに帰ってくるのは不可能だろう。 (あたしだけじゃどうにも… やっぱりあたしじゃ、姉様みたいに上手くはいかないよ…) 混乱して挙動不審にそわそわとしている。 思い詰めるフェレトだったが、そんな時、つい数週間前の事を思い出す。 (フェレトにだって出来るさ。 お前には女神だって付いてる) 我が父の言葉を思い返していた。 両親・姉とも不在のいま、自分がどうにかするしかない。 そう、少しずつ思い始める。 すっと上げた顔には、強い眼差しを携えていた。 「…留守を任されてるいま、あたしがこの家の長よ…。 家には最低限の人を残して、あとは手分けして探しなさい! 何かあったら連絡は密に取ること…、いくわよ!」 そう言い切ると、呆気に取られる周囲にも構わず弾ける様に走り出した。 遅れて、使用人たちも手分けをして動き出す。 「あのフェレトお嬢様があんな事を…」 「いってる場合か!さっさといくぞ!」 ところ変わって、ここはレジーナ邸から少し離れたところにある丘。 そこから奥へ進む山道に、この辺りを拠点にする2人組の野党の姿があった。 2匹の馬を連れ、その1匹の上に縛られたヴァーリが乗せられている。 「しかしアニキ…、このガキ噂の…、アレなんスよね…。 本当に大丈夫なんスか?」 野党の子分が曖昧な表現で兄貴分に尋ねた。 どうにも、はっきりとした口に出したくない様子である。 兄貴分が気だるそうに答える。 「あァ?大丈夫だよ…、このお姫様は新月の日を中心に能力が弱まるんだと 確かな情報源からだ、信用出来るぜ」 勝ち誇った態度で大まかな説明をする。 見て取れる余裕は自信の表れなのだろう。 そう、今夜は新月。 情報が本当ならヴァーリの弱体が極まる日。 「…ほぅ、よく知ってるじゃないか? まぁ…、そうでもなかったら貴様らなぞもう消し炭だよ…。 この『レジーナ(女王)』の名に懸けて…な?」 情報を自ら肯定した上、当の本人は余裕たっぷりに挑発。 ろくに身動き出来ないにも関わらず、不敵な冷笑。 その表情は見下しているそれに他ならない。 「けっ、状況分かってんのかァ、お姫様よォ。 俺様の気分次第じゃあ、テメェの首なんざ胴体とお別れになんだぜ?」 「…ふん」 ヴァーリの生意気な態度に、凄んで脅しをかける野党。 しかし、余程の事がなければ金目当ての誘拐犯が人質に手は出さないと、ヴァーリは確信していた。 必要以上に触発させない様、鼻で笑って会話を区切る。 野党は揃って面白くない顔で歩を進めて行った。 「っかし、なんでまたお姫様はあんな場所にいやがったんでしょうねェ? 人目もあったもんじゃねぇっスよ」 「ん…?生憎とあそこは私の秘密の場所だったもんでな…」 またも、野党の疑問に軽々しくも余裕たっぷりなヴァーリ。 へぇ、と納得した様な子分に、兄貴分が凄みを利かせる。 またも会話は区切られ、無言のまま山の奥へと入って行った。 「そう、『ひみつの場所』…でな…」 すでにその大部分を黒が締めた空を見上げるヴァーリ。 小さな呟きは誰の耳にも届かなかった。 街の大半が展望できる高台。 夜が近付くにつれてカップルも増えてくるこの場所。 そこで姉を探し回ったフェレトが息を切らしていた。 「はぁ…はぁ…、姉様…、いったいどこに… こう暗いと探すに探せないってーの…!」 膝に手を付き、身体全体で呼吸をしながら、きょろきょろと周りを見渡している。 しかし、当然ながらそこにヴァーリの姿はなく、フェレトは力なく視線を落とした。 「秘密の場所って事は…、あんま人目に付かないトコなのかなぁ …ひみつの場所~ねぇ」 独り言を口にし、そこまでいってハッとする。 光明を得た様に、顔を上げ、そこから見える1点を見据えた。 確信をその眼に宿らせて、もう夜になろうという街を駆け抜けていく----。 夜の山道を行く2人の野党とヴァーリ。 月の光もなく、視界はいいとはいえない。 足元の状況もよくなく、馬に乗って走る事も難しそうだった。 しばらく馬の蹄の音だけが辺りに響いている。 「いつ来ても、ここらは歩き辛くていけねぇぜ」 兄貴分の口からも愚痴がもれる。 ヴァーリの目にも、野党の苛立ちが見て取れた。 「…軟弱だな」 蔑んだ様な一言。 その一言にも反応するくらいに野党の苛立ちも相当にキていた。 ガッ、と身動きの取れないヴァーリの首を掴み、強く締め上げる。 流石にヴァーリも、顔を歪めて小さく唸る。 「さっきからウッセェんだよ、ガキがァ! いっそ口も利けなくしてやろうか、アァ!?」 一気に捲くし立てると、ヴァーリの首を掴んでいた手を投げる様に勢いを付けて放した。 反動でグラつくヴァーリ。 舌打ちの音が2つ、夜の森に反響する。 「貴様…ッ!……!?」 怒りを露わにしようしたヴァーリ。 しかし、グラついた拍子に不意に視界に入った存在に、一瞬ではあるが驚きが顔に出てしまった。 ゆっくりとまた、ヴァーリのに余裕が戻ってくる。 優しげな微笑を携え、空を見上げた、 「今夜は月が綺麗だな…」 「あァ!?テメェ何いって…、あぁ…?」 嬉しそうなヴァーリ。 その声に再び苛立ちを露わにする野党だったが、振り返った途端にその態度は対照的だった。 3人の目に、ふわりと宙空を翻る月が映る。 その月は漆黒の空の中で、煌びやかに輝く翡翠。 「ひ…、『翡翠の三日月』だ!!」 「バカなッ!いまは留守にしてるハズだぞ!?」 目に映った光景に慌てふためく野党2人。 お互いに、どうする?と目で訴え、混乱の色を隠せないでいた。 ヴァーリ1人が、馬上で悠々と口を開く。 「美しいに決まっている…。 あれは、かの『生命の樹』。 その『美』司るセフィラ、『ティフェレト』の加護を一身に受け…」 すっと、目を閉じるヴァーリ。 翡翠色をした三日月は重力のままに地に落ち、見えなくなっていた。 「未だ雷名轟く『翡翠の三日月』の血を最も色濃く継ぐ者にして…」 ドン、という音と共に地を這う様な低姿勢で影が3人の方向に迫ってくる。 野党2人は慌て、焦り、混乱に支配される。 身動きもとれず、音のした方向に目を縛られ、ヴァーリの言葉が耳を穿たれている。 はっきりと影の姿が視界に入った時には、すでに遅し。 「…私の可愛い妹だ」 にこっ、と笑うヴァーリ。 その瞬間、子分の顔面には鈍い音と共に、フェレトの右膝がめり込んでいた。 一瞬時が止まり、衝撃によって数メートルばかり吹き飛ぶ子分。 反動でフェレトはふわりと宙に浮く。 「姉様ッ!」 「なッ!?て、テメェ!」 着地しても、野党などには目もくれず、姉に駆け寄ろうとするフェレト。 しかし、それを残った野党がヴァーリに短剣を突き付け阻もうとした。 「そ、それ以上近付いたらお姫様の命は…づッ!?」 が、走りながらフェレトが投じた一石がそれをも阻んだ。 短剣を弾かれ、手を押さえる野党にヴァーリが余裕の表情で語る。 「姉の愛は神の愛。姉の怒りは神の怒りにも等しい。 妹のそれもまた…、同義だ」 冗談混じりにそういいつつ、満足げな笑みで野党を見下ろすヴァーリ。 言葉に気を取られた野党に、迫っていたフェレトの拳に気付く術はなかった。 ガスンッ!! 全力で振りぬかれた拳。 野党は首から順に回転しながら、呻きと共に暗い大地に伏した。 2人の野党はそのままピクリとも動かず、夜の森に擬態していく。 「姉様ッ!、ケガは…、ケガはないの!?」 すぐさま駆け寄り、縄を解く。 しかし、ヴァーリにはその慌てぶりが少々滑稽にすら見えた。 「…ぷっ、くく…。 ああ、大丈夫、ケガはないぞ…、ふふ」 自由になった手をぷらぷらと振りながら、微笑む。 先ほどまでの闘いぶりとのギャップに笑いが込み上げてしまった。 「なっ、何が可笑しいのよ姉様っ!」 あからさまに不満そうに、顔を赤らめて抗議する。 本人は紛れもなく真面目だったのだろう。 「ははは…、悪い悪い、なんでもない。 それよりも、よくここだと分かったな?」 馬から降りながらフェレトをなだめるヴァーリ。 誤魔化そうと答えの予想の付いている質問をする。 「あ…、だってさ、『ひみつの場所』だったんだもん。 あの丘にいってみたら、真新しい馬の足跡があったからさ? もしかして、と思って…」 「…そうか」 手をわたわたさせながら説明するフェレト。 その姿にまた微笑みをこぼすヴァーリ。 そう、あの丘がヴァーリの『秘密の場所』にして、2人の『ひみつの場所』。 お互いがお互いの顔を見て、ほっとする。 「…フェレト」 ゆっくりと歩きだすヴァーリ。 「今宵は…、月が綺麗だな」 「へ…?今夜は新月だよ?」 2人して漆黒の空を見ていた----。 |