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レジーナさんちの徒然黙示録

屋敷の一室にある雑記帳 今日は誰が何を綴るのか…

§ Gift 第2宴

『The Name is Gift』

第2宴 ー魔縛ー





----これは10数年前の出来事。

国を別った大戦が終結してそれほど間もない頃。
かつては戦いに明け暮れ、貧困に陥った人々がやっとの思いで安定した暮らしを手に入れた頃。

戦場を駆け抜けた英雄達にも、平和な日常が舞い降りようとしていた時代の事----。





ここは学術都市イッフィン。
夕暮れ時にも関わらず、まだほのかな暑さの残る季節。
短めのウェーブヘアを弾ませながら、ショッピングエリアを歩く1人の少女。
つられて白いフリルのワンピースも揺らめいている。

「んー…っとぉ。
お肉屋さんはぁ~…、こっちかな?」

小さな手には大雑把に描かれた地図とメモを握り、肉屋を探して右往左往している。
そう、おつかいなのだ。

「あれぇ…、こっちじゃないのかなぁ…」

すぐそばに目的地はあるというのに、その存在を認識出来ないでいる少女。
不安げな表情で、きょろきょろと辺りを見渡した。

「……」

少し距離を置いたところに、物陰から少女を見つめる視線があった。
半身を建物で隠し、サングラスをかけ、耳にはイヤホンが装着されている。
不意にそのサングラスの男と少女の間に買い物途中の主婦の団体が通りかかる。

「くっ…、キングよりナイト1へ。
主婦の井戸端会議でターゲットが見えない…!
至急、状況を報告しろ!」

羽織った上着の襟元に向かって、野太い声で小さく話しかける男。
どうやらマイクが仕込まれている様だった。

(こちら、ナイト1。
ターゲットは肉屋を確認した模様。
現在、駆け足で肉屋に接近中!)

「よぅし、見付けたかぁ!
しかしまだ油断は出来んぞ、肉屋の主人に怪しい動きはないか!?
あと武器になりそうな物は持っていないだろうなッ!?」

部下と思わしき男からの返事に、ガッツポーズする男。
かと思いきや、今度はわたわたしながら捲くし立てる様に部下に質問を浴びせる。
声を徐々にボリュームアップ。
どう見ても本人が1番怪しい。
その異様な外見・動作に気付いてか、目の前を通る主婦が声をかけた。

「ちょっとアンタ、そこで何やって…ってぇ、シュラグノーさんじゃあないのさ!
アンタそんなとこでコソコソ何やってんだい?
サングラスなんてかけてまぁ!」

声をかけた主婦は、すぐにその怪しい男が誰なのかを把握し騒ぎ出す。
こうなってはタダの見せ物である。
話のネタを見付けたといわんばかりに主婦の団体に取り囲まれてしまった。

「ちょ!うっせぇ、どけどけオバちゃん!
そんなデケェ声で呼ぶんじゃねぇ、ヴァーリに気付かれる!」

ガタイのいい身体を縮める様にして隠れようとする。
全くの無意味だが、主婦の方々には益々興味を引かれる姿だったに違いない。
男の名はシュラグノー=レジーナ。
いま、正におつかいに駆り出されている少女、ヴァーリ=レジーナの父である。
自分でおつかいを頼んでおきながら、部下まで引き連れて娘の「はじめてのおつかい」が成功するかを見届けに来たのだ。
なんとも子煩悩な男だった。

「お…、ヴァ、ヴァーリちゃんじゃないか?
1人でおつかいかい?偉いねぇ」

「うん!とうさまが『肉食って強くなれ!』っていってね。
かあさまも手が放せないからって」

肉屋の中では客を捌きながらヴァーリの相手をする店主。
ヴァーリは目を輝かせながら、ガラスケースに身を乗り出す様にしている。
なんとも心の和む光景であろう。
店主の顔がわずかながら不自然に引きつってさえいなければ…。

「毎度ありぃ!
お母様にもよろしくいっといてくれよー!」

「はーい!」

無事におつかいという使命を果たし、店主に見送られるヴァーリ。
精一杯に手を大きく上げて満面の笑顔でいま来た道を戻ろうする。
が、振り返ったそこには少女の目にも不自然な人の塊。
主婦で中心は見えないが、確かに男の叫ぶ様な声がヴァーリにも聞こえていた。

「…?」

正面で肉屋の袋をぶら下げて、この謎の映像に首を傾げる。
その時、塊を割って1人の見知った顔が勢いよく眼前に現れた。

「いい…加減にしやがれ!
ヴァーリ見失っちまうだろうがッ!」

(ザザ…、ナイト2よりキングへ!
ダメです、そちらへ行かれては…!!」

「…あ」

やっとの事で人の波を掻い潜り、主婦の包囲網を突破したシュラグノー。
しかし、部下からの通信も甲斐なく、そこでヴァーリと鉢合わせしてしまった。
見上げるヴァーリの真っ赤な瞳には、ただただ呆然とするシュラグノーが映っている。

「逃げようたってそうはいかないわ…って、ヴァーリちゃん…
そ、そうだアタシ急いでんだったわ!」

追いかけて来た主婦だったが、ヴァーリの顔を見るや、そそくさと帰ってしまった。
そのまま主婦たちは1人、また1人といなくなっていく。
シュラグノーは一瞬耐える様な表情を見せるが、すぐに憂いを帯びた顔になる。
しかし、それすら長くは続けさせてはもらえなかった。

「…とうさま?
え…、なんでここに…?」

「え"!?あ~、いや、その…」

無邪気に当然の事を聞いてくるヴァーリ。
我に帰ったシュラグノーはまた困り果てていた。
このあとも、帰宅してからシュラグノーは、真実を知って機嫌を損ねたヴァーリを相手に困り果てるのである。
なんとも子煩悩な男だった。





「それでは、また明日ね
みなさん気を付けて帰るんですよ」

担任のひと言をきっかけに、生徒たちは帰宅する者、談笑に興じる者と別れて行く。
ここはハイクォーヴァー学園。
ヴァーリはこの春に初等部に入学したばかり。
しかし、すでにその頭角は現れ始めていた。

「いっしょに帰りましょ~?」

「あ、ちょっと待ってて」

入学して数ヶ月。
クラスメイトにも普段から行動を共にしていく間柄も珍しくない。
休憩時間、登下園、と。

「~~♪」

そんな中、1人で教室を後にするヴァーリ。
別段に浮かない顔をしているわけではない。
数ヶ月経っても、どうもクラスメイトに馴染めずにいるのだ。
クラスメイトもあまりヴァーリには近付こうとしなかった事も原因の1つではあったが…。

「せんせ、また明日ー!」

「はい、ごきげんよう
廊下は走ってはいけませんよ?」

放課後になり、賑わいを増す学内。
喧騒を小さな背中で聞きながら、ヴァーリは帰路へ着いた。



「ねぇ、とうさま、かあさま
1つ聞きたいんだけどいい?」

レジーナ邸。
ヴァーリは帰るなり、リビングでくつろぐ両親に尋ねた。

「どうかしたの、ヴァーリ?」

自分の大きくなったお腹をさすりながら対応をする母・ネフリータ。
ネフリータは3人目の子を妊娠しており、出産の予定日も近い。
2歳になるヴァーリの妹・フェレトも一緒になって懸命に母のお腹をさすっていた。

「えっとね…、クラスの子がいってたんだけどね。
…『いみご』ってなぁに?」

ガチャン!

その言葉に驚き、シュラグノーはカップを手から滑らせ落としてしまう。
慌ててこぼれた紅茶をテーブルの上に置いてあったナプキンで拭き始めた。
ネフリータも驚きを隠せずに表情が固まってしまっていた。
幼いフェレトだけが、理解出来るはずもなくお腹をさすり続けている。

「…そ、それがどうかしたのか、ヴァーリ?」

紅茶を拭きながら、出来るだけ平静を装う様にシュラグノーは聞き返す。
ネフリータは、ただ眺めているしか出来ていなかった。

「えっとね、よくは聞こえなかったんだけど…。
『いみご』はこわいんだっていってたの」

『忌子』がどういう言葉なのか、全く知識にないヴァーリ。
それが果して幸いしてなのか、シュラグノーは誤魔化してしまう。

「きっと「いいこ」を聞き間違えたんだろう。
ヴァーリの噂でもしてたんじゃないか?」

「ねぇさま、いいこ!」

誤魔化しにしても苦しいと、シュラグノー本人もそう思った。
が、意外にもその重苦しい場を覆したのは少しずつ話せる様になってきたばかりのフェレトだった。
まだ上手く話せないその仕草が、場を和ませる。

「そうね、ヴァーリもフェレトもいいこだもんねー?」

フェレトを持ち上げ、あやしながらそう笑いかけるネフリータ。
ヴァーリもまんざらでもない表情で、嬉しそうにしていた。

「さて、ヴァーリ。
夕飯の前に課題を済ませてしまいなさい」

「はーい!」

会話が一段落したところで、シュラグノーはそう切り出した。
ヴァーリも元気よく、走るようにして自室へ戻っていく
リビングに残った2人をしばらく複雑な空気が包んでいた。

「…つッ!!ぐぅ…」

突如として、静まり返っていたリビングに響く苦悶の音。
そこにはお腹を押さえて唸るネフリータの姿。
感傷にすら長くは浸らせてはもらえない。
慌ててシュラグノーはネフリータに駆け寄った。

「お、おい!大丈夫か、ネフリータ!?」

「予定日が早まったのかしら…。
ば…、婆様に連絡を…!」

少し声を荒げて人を呼ぶシュラグノー。
一気に騒がしくなる屋敷内。
雲行きも怪しくなってきた夕暮れだった。





----遡る事、更に5年前。
イッフィン中心街から少し離れた邸宅。
草木も眠る夜更け時の事。

「ふぎゃあぁぁ!ふぎゃあぁぁ!」

今宵、また1つの生命が、静寂を裂く歓喜の声が産まれ落ちた。

「や、やったぞネフリータっ!無事に産まれたぞ!」

「おめでとうございます、元気な女の子ですよ!」

1人の女性を囲っていた大人達。
その1人1人から、喜びの声が漏れてくる。
やっと訪れた瞬間に感情を隠し切れないでいた。

「…ーク」

そんな中、1人だけ目を見開き、何か小さく呟く老婆の姿があった。
その様子に気付いた助産師が声をかける。

「婆様、どうかなさいましたか?
…お顔が優れない様ですが」

「っ、…ああ、いや…。
少々疲れたらしいのぅ」

その声に一瞬ハッとした表情を浮かべた老婆。
しかし、すぐに平静を取り戻した。

「なぁに、休めば問題ないわい。
明日また定刻に来る。
あとは頼むぞい」

そう一気にいい切ると、返事も聞かず踵を返してしまう。
嬉々として抱き合う夫婦と幼子を背に、わずかな嫌悪感を抱えて…。



翌日、もう日が傾き始めた頃。
同じ邸宅に赤子と、その子を抱く夫婦。
自分達なしでは決して生きてはいけないその小さな身体に、愛おしい眼差しを向けている。

「はは、きっとお前に似た、綺麗な娘になるぞ」

「ふふ、そりゃあ女の子だもの。
あなたみたいにゴツくなったら可哀相だわ。
ねー?」

そういって赤子の頬を軽くつつく。
他愛ない、ありふれた会話。
それさえ2人には、輝かしく聞こえていた。

コンコン

「お館様、婆様がおいでです。お通してよろしいでしょうか?」

扉の向こうからのノックと男の声。
いままで穏やかな風だった2人だが、少し緊張した面持ちになる。
身体が強張っていた。

「いよいよ…か、お通ししてくれ」

「かしこまりました、…どうぞこちらです」

スムーズで定型文の様なやりとり。
どことなく口調まで堅くなっている。

カチャッ

「ふぉふぉ、邪魔するぞい。
ガラにもなく緊張なぞしおってのぅ」

部屋に入るなり茶化す様な態度を取る老婆。
それでいても的確なのは、やはり年の功なのかも知れない。
後ろの助産師は苦笑いだった。

「オレだって好きで緊張してる訳じゃない…。
仕方ないだろう?」

「ふふ、そうよ、婆様。あんまりホントの事いっちゃ可哀相だわ」

慌てる夫に、からかう妻。
その場が微笑ましくなるには十分過ぎるだろう。
しかし老婆は、素直には喜びとも取れない含みのある笑顔を見せていた。

「…婆様?」

穏やかで、厳しくもある、まるで海の様な表情。
違和感を感じたネフリータが思わず声をかけた。

「ふぉふぉ…。
その様子じゃあ、まずは無駄話、というのも酷じゃろうて」

聞こえなかったのか、話を進める老婆。
ネフリータが感じた違和感は、老婆以外の全員に小さく飛び火した。
が、それも一瞬の事。

「さて、早速始めるかの。
『降名の儀』…」

違和感をはっきりと感じ取る暇もなく、今度はピクリと身体を強張らせる。
途端に誰も口を開けなくなってしまった。


『降名の儀』。
それは文字通り、「名を降ろす」古くから伝う儀式。
新生児を加護する存在を霊視し、その存在から名を賜るのである。
名は子への刻印となり、加護する者との関連の象徴、寵愛の証になる。

儀には『降名師』の存在が不可欠であり、この老婆もまた数少ない降名師の1人である。
降名師の歴史は長く、彼らは霊感に優れ、霊視や予言、占術、祈祷なども行っている。
突出した能力が求められるため、なろうとしてなれるものではない、選ばれた者なのである。


「その前に…、すまんがお前達は席を外してくれんかの?」

少しバツの悪そうに、助産師と使用人に目配せしながら呟く。
しかし、その目は異を唱えるのを許すものではない。

「…と、いう事らしい。外してくれ」

戸惑うそぶりを見せる2人だったが、家主のシュラグノーにそういわれては取るべき行動は決まっている。
小さく礼をすると、静かに部屋を後にした。

「どういう事…?」

ネフリータの口から疑問が漏れる。
不透明な不安の色を浮かべて。
シュラグノーはうろたえこそしないが、真剣な眼差しで降名師を見やる。

「一応の。もしかしたら…と思うただけよ。
昨日は…、大きな存在を感じたからのぅ」

そう耽る様にいう。
降名の儀において、加護の主があまりに大きな場合もあり得る。
そういった場合、存在を危険視されたり、利用しようと事件に巻き込まれるケースは過去にいくつもあった。
それを未然に防ぐ為に、または個人の希望から、『必要最低限の人物にしか伝えない』という事前処置もよくある話ではあったのだ。

「そっ、それじゃあ…!」

2人して乗り出す様に声を揃える。
顔から曇りは消え、爛々とした期待の眼差しが現れた。
自分の子供が特別であって欲しい。
全ての親が持っているであろう願望がそこにあった。

「…ふむ」

しかし降名師は何も答えない。
無言のまま、静かに抱かれる赤子の頭を撫で始めた。
2、3度頭を撫で、手を頬にすっと当てる。

さっきの言葉と、今の態度と。
状況は両の親に期待も不安も与えるばかり。
2人にとっては、ものの1分ばかりが、どれほど長く感じられた事だろうか。
その感情の捻れが顔にまで表れようとした時に、2人にとってはようやく、降名師は1つの単語を紡ぎ出す。

「…ラーク」

一瞬静まり返る室内。
1拍置いてどちらかともなく夫婦が見合わせていた。

(ラーク…、聞いた事ある?)

互いが互いにそんな視線を送る。
その様子を察してか、慎重に言葉を進めた。

「ラーク…とは、『神にも等しい力を持つ霊的存在』…の、1つじゃ」

「なっ!」

一気に驚きに支配される2人。
ますます身体が強張っていく。
『神にも等しい』、その言葉の重さを2人が理解しているからだ。

数多の『神』や『神の徒』の加護を得た者。
言葉が示す通り、彼らは神に愛されている。
人そのもの力が強大な事も多く、成功者も数多い。

「それって…!」

さっきまでよりもトーンの上がった声。
2人の視線は、お互いの顔と降名師の顔を行き来する。
その目には確かな希望を携えていた。

「…聞けぃ」

いいかけたネフリータだったが、静かで、それでも威厳ある一言に封じられてしまう。
封じた降名師の目には、心なし俯いていても感じ取れる程の悲哀があった。

「ラークは、確かに神に劣らぬ程の力のある存在の事じゃ。
じゃが…、じゃがの…。
そこに善悪の概念はない。
つまりは…、『悪魔にも等しい存在』かも知れん…」

再び静まり返る室内。
しかし、今度の静寂はすぐには崩れなかった。
親にとって、身を裂かれるより辛い時というのは、確かにあるのかも知れない。
2人の顔は驚愕でも、悲痛でもなく、ただただ『無』だった。

気遣ってか、結果を告げた本人もしばらく何も口を開かない。
開く事が出来なかったのかも知れないが…。

「…………」

沈黙。
3人が3様の、1つにも似た負を持て余している。
相乗された負が広い部屋をも食らい尽くしてしまいそうで…。

悪魔や、それに近い存在が加護する場合、相応の『処置』が施されてきた例もある。
最悪のケースすら考えられたのも理由だろう。

「…じゃから、わしが"縛"をかける」

長く続いた静寂を破ったのは、やはり降名師だった。
打ちひしがれていたのではなく、最良の手を考えていたその人は静かに続ける。

「確かにラークは危険じゃ。
…じゃからといぅてな、そんな事はしとうはない」

呆然として聞き手になるしかない2人。
耳だけは、言葉を一言一句逃すまいと神経を澄ましている。
"そんな事はしたくない"。
気遣いが幾重にも編み込まれた一言だった。

「この子と、加護しておるラークとの糸に、名を以て直接"縛"をかける。
…望ましい名ではなかろうがの。
すまんが勘弁しておくれ…」

降名師は言葉そのものが持つ力を行使する事で、新たな意味を名に付随する事が出来る。
完全に加護する存在との繋がりは断てない。
それ故の"縛"であるが、かなりの効果を持った行為であった。

「しっ、しかし、それでは婆様が…!」

しかし、その行為は運命や真実を捩曲げる事に近く、望まれる事ではない。
反対する者も多く、罰せらる事さえあるのだ。
シュラグノーとネフリータの心中は複雑である。
しかし降名師は、少しばかり表情を緩めるだけで、唇を動かすのを止めなかった。

「この子の名は"ヴァーリ(縛)"。
…ヴァーリ=ラーク=レジーナ」





----それから3年後。
ちょうど妹・フェレトが生まれた頃の事。
3歳になったヴァーリの様子に異常もなく、"縛"の事も忘れかけられようとしていた頃の事。

その頃のレジーナ家にはセルベスという男が務めていた。
彼も前大戦時には、シュラグノーと共に戦場を駆けた歴戦の勇士である。
元々の催事に加え、フェレトの世話で両親共に忙しくなった事もあって、ヴァーリの世話についてある程度まで任されるほどに信用されていた男だった。

事件は何の変哲もないはずだった昼下がりに訪れる。
ある日、本屋に行きたいとせがんだヴァーリは、セルベスと共に散歩がてら街に出ていた。
その帰り道。

「お嬢様、あまり走っては危ないですぞ?」

「だいじょぶ~」

セルベスの注意を振りきって、まだ少し不器用に早歩きするヴァーリ。
この頃のヴァーリには見るもの全てが物珍しく、ただ出掛けるだけでも退屈とは無縁だった。
その好奇の眼差しを振りまく事を、終える術を知らないかの様に。
セルベスも注意はするも、微笑ましくも見守っていた。

「ねぇねぇ、セルベス!
あれ!あの花なんて花~?」

目に留まった鮮やかな赤を指差し、飛び跳ねる様に振り向いたヴァーリ。
しかし、そこには…。

「…セルベス?」

背中に鈍い赤を背負い、地に伏したまま動かないセルベス。
その向こう側には、対照的に鋭く銀に輝き、切っ先を赤く染めた剣を手から下げ、黒いコートを着込んだ男が立っている。
眼下のセルベスに視線を落とし、小さく漏らす様に口を開いた。

「やっと…、やっとカタが付いた…!」

自らを中心に赤黒い水溜りを造っていくセルベス。
ヴァーリはうるさく鳴り始めた鼓動に縛りつけられていた。

男からどういう感情が湧きあがっているのかは、誰にも分からない。
しかし、確かな喜びが読み取れ、小さく震えている様だった。
数秒の間を空けて、ちらっと男がヴァーリへ目線を移す。

「チッ…、子供…か」

またそう漏らすと、チャキッと剣を持ち直しヴァーリに向き直った。
その音に反応して身体をビクつかせるヴァーリ。
当然ながら事態を理解出来ない。

「悪いなお嬢ちゃん…。
私だって気は進まんが…、恨んでくれていい」

「え…、あ…」

剣と同様に鋭い目付きでにじり寄っていく男。
1歩、また1歩と一方的に両者の距離は短くなっていく。
ヴァーリも距離を離そうとしたが、たじろぐばかりで思う様に動けないでいた。

「主よ…、憐れみを。
…すまない」

懇願する様な呟き。
その一言と共に携えた剣を高く掲げ、大きく振り下ろす。

「ッ!!」



数時間してヴァーリは何事もなかったかの様に目覚める。
ただ、倒れる直前の記憶だけを欠落させて。
しばらくの間は、『セルベスどこ?』そればかりを尋ねていた。

シュラグノーとネフリータが駆け付けたのは、事態からほんの少しあと。
現場に残っていたのは、息のない盟友セルベス、深い眠りに就いていたヴァーリ。
そして、全身真っ黒に焼け焦げた『男だった』塊。

後の調べで、当時セルベスについて嗅ぎまわっていた男がいた事が分かった。
その男は大戦中に父親を失っており、それがセルベスのせいだと逆恨みをしていたらしい。
しかし、残された死体の状態が悪く、本人なのかどうかの判断は結局出来なかった。

幸いなのか、そうでないのか。
現場にほとんど人通りはなかった為、その時の目撃者はいなかった。
だが状況や、ヴァーリの加護主が非公開だった事もあり、勝手な人の憶測は飛び交う。
真偽も分からぬまま、事件の尾ひれは水面下で肥大化し、この後、ヴァーリは影で囁かれ始める。

『悪魔の子』、『忌子』と----。




舞台は戻り、レジーナ邸宅。
あれから数時間が経ち、時計の針は真上で重なろうとしていた。
すっかり黒に染まった窓からの景色は、打ちつける水滴に滲んでいる。
崩れた雲からは、止めどなく強い雨が落ちていた。

陣痛が始まったネフリータは、シュラグノーや駆け付けた老婆達と共に一室に籠ったきり、未だに出てこない。
どうやら長引いている様だった。

ヴァーリはというと、時間が遅くなった事もあり、寝る様にといいつけを受け自室のベッドにいた。
しかし、落ち着かないのか身体の向きを変えるばかりで、眠れずにいる。
自分に弟か妹が出来るという期待と、いまも痛みに苦しんでいるあろう母への心配。
早く生まれないかな、ずっとそう、そわそわとしていたのだ。

「まだ…なのかな?はぁ…」

また身体の向きを変え、黒く滲む窓の外へと溜息を漏らす。
複雑な心中は、忙しなさとして態度に表れるばかり。
とても眠れそうではなかった。

ガタガタ…ガタガタ…

「…?」

耳に入る音が変わった事に、すぐに気付いたヴァーリ。
すっと身体を起こし、音のする方を向いた。
見れば、風雨に吹かれて軋む窓と舞い上がるカーテン。

(閉まってたはずなんだけど…、おかしいなぁ…?)

感じた違和感に、数秒ばかりぼんやりとしていたヴァーリ。
が、すぐに窓を閉めるべくベッドから降りようとした。
その時だった。

「ごめんねぇ…、カーペット濡れちゃったねぇ」

聞こえてきた声の方に、バッと目を向ける。
窓の反対側、そこには見覚えのない女が1人立っていた。
両手を合わせ悪びれた態度を取る女。
膨れ上がっていく違和感は、ヴァーリの口を堅く閉ざしてしまう。

「さすがにアタシも出産の予定までは読めなかったけど…。
お陰で手薄で助かっちゃったぁ」

軽薄なノリでそういいながら、ヴァーリに近づいて行く女。
唇に人差し指を当て、じっとヴァーリを見つめている。
ヴァーリもただ目が離せず見つめ返すだけだった。

「んー、ねぇキミさ、ホントに『悪魔の子』なのぉ?」

「…?」

いままで、誰も聞こうとしなかった、聞けなかった事。
それをも軽々しく聞いてみせる女。
しかし、それを本人が知る事もなく、少し口を開けただけで不思議そうにしている。
聞けなかったのですらなく、聞いても無駄だったのだ。

「あっれぇ、違うのかなぁ?
でもでもぉ、お仕事なんだよねぇ…」

シュピンッ

残念そうな素振りを見せつつ、腰から折り畳みのナイフを取り出した。
暗い部屋でもほのかに光をたたえる細身の銀色。

ドクン

その攻撃的で、芸術的でもある様な銀に、ヴァーリは目を見開く。
真っ赤な瞳にその鋭さが映り込む。

「あぁん、怖がんないでぇ…?
こんなに可愛いコなんだもん。
せめて苦しまない様にするからぁ~…、ね?」

ドクン…ドクン…

そういいながらあやす様な口振りで歩を進める女。
裏腹にいい切ると空気は刺す様なそれに変わる。
しかし、女は勘違いしていた。

ヴァーリは怯えてはいなかった。
『近付いてくる他人。』
『携えられた銀。』
『自分に向けられた確かな害意。』
状況の全てがヴァーリの鼓動を速め、白紙の記憶をあぶり出そうとする。

「…ふぎゃあ、ふぎゃあ」

遠くから、微かに聞こえてきた泣き声。
一緒にいくつかの声も聞こえてくる。
ネフリータの長い戦いの末、ついに新たな命が産まれたのだろう。
ヴァーリも女も、一瞬、刻が止まったかの様に動きが止まった。

「産まれちゃったみたいだねぇ。
グズグズしてらんないかもぉ」

「……」

器用にナイフをくるくると回す女。
その言葉に、また2人の刻が動きだす。
が、ヴァーリは完全に自分の世界の中だった。
もうほとんどなくなる2人の距離。

「ホントもったいないなぁ…
でもぉ、ごめんねぇ」

「!!」

そう謝ってナイフを持ち直す女。
だが、謝ったのがいけなかったのだ。
ヴァーリに『向けられた刃と謝罪の言葉。』

増えるピースは、欠けた記憶の欠片になってはめ込まれていく。
無意識にかけていた鍵を自分でこじ開ける。
扉の向こうに何が眠っているのかも知らずに…。



ボゴォン!!

突如起きた爆発。
立ち上がる黒煙。
大きく欠けた邸宅の壁面。
幸いにも、炎は雨ですぐに消えていった。

「う…うぅ…」

露わになったヴァーリの部屋に雨が吹き込む。。
黒ずんだ部屋の、鼻を突く臭いの中で、ヴァーリは力なく床に座り込んでいた。
濡れた顔が涙のせいなのか、雨のせいなのかはもう分からない。

「うぅ…セルベス…」

だらりと天を仰ぎ、呟く。
忘れていたコト、封じていたモノ。
本能が選択した過去を、偶然か必然か取り戻したヴァーリ。

「ぐす…ぐす…、うあぁ…」

気付いた事を誤魔化す事に意味はない。
小さな身体には、決して相応ではない存在。
その主の存在に、今度こそヴァーリは怯えていた。



ヴァーリがレジーナ家の家督を継ぎたくないという意向を示すのはこの数年後の事。
その頃から、他人ともあまり関わろうとしなくなる。
彼女が思う事は、彼女にしか分からない。

「うわあ"ぁぁぁぁぁ…!!」

両手で顔を塞ぎ声を上げるヴァーリ。
雨足は強くなっていくばかり。



2つの産声が雨音に吸い込まれていった----。
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2009/05/15/Fri 22:13:21  Gift./CM:0/TB:0/

§ Gift 第1宴

『The Name is Gift』 

第1宴 ー月光ー





----「名」には意味がある。
産まれ落ち、数多の神々の加護を、その名に、生命に刻み込む。

その名が体を表す様に。
魔法・宗教において真名が大きな意味を成す様に。
また、言葉そのものに宿るチカラがある様に。

その「名」を授かる者に、加護せしめる者の片鱗をも覗かせて----。





「…む、むぅ」

学園の廊下で、いま正にもらった通知表相手に唸る人影。
翡翠色のサイドテールを左右に揺らし、真っ赤な瞳で通知表を睨んでいる。
周りには、今期の自分への評価で一喜一憂している生徒たち。
その中でも一層と難しい顔をしていた。

「聞きましたわよ、フェレトさん!
今期の体術技能試験もまたトップだったんですって?」

「ふぇっ!…ああ、えぇ」

急に後ろから声をかけられ、素っ頓狂な反応をしてしまう少女、フェレト=レジーナ。
通知表を思いっきり閉じ、上半身だけで振り向く。

「まったく…、貴方には敵いませんわね…。
しかし、次はこうはいきませんわよ?
わたくしがその座を奪って差し上げますわ!」

ヤレヤレといわんばかりに両手をひらひらさせたかと思うと、今度はビシッ!と指を差し宣戦布告する。
状況を把握するまで、数秒フェレトは目をぱちくりさせていた。

「えっと…、臨むトコロですわ。
来期に期待しておりますわね?」

片方の手で頬を掻きながら、取り繕う様に返答する。
それを聞いた少女は、満足そうに不敵な笑みを残し、踵を返して足音高く去って行った。
はぁ、と溜息1つ、フェレトも学校を後にする。



首都から少し離れた場所にある、この『学術都市イッフィン』。
そのほぼ中心にあるのが『ハイクォーヴァー・アカデミー』である。
国の学問・文化・芸術の中心であるイッフィンでも有数の生徒数を誇る大学園であり、その学科の分野も多岐にわたる。




「やぁっぱ今期も超えらんないなぁ…」

学園を離れ、街のショップエリアを歩くフェレトの姿。
上に通知表を掲げ、呟いている。

「姉様の成績に無理があるんだってぇ~」

独り言で愚痴りながら、歩を進めていく。
姉様とはフェレトの姉、ヴァーリ=レジーナ。
20年ばかりと、まだ歴史の少ないハイクォーヴァー・アカデミーではあるが、その中でもヴァーリは他の追随を許さない成績で中等部までを卒業している。

フェレトはいま中等部に入学して2年目。
初等部ではついにヴァーリを超える事は出来なかった。
フェレトは体術技能はズバ抜けていたが、その他の学問は平均より少し上、といったところである。

「姉様が素直に家督を継いでくれればアタシも楽なのになぁ」

やり場のない文句は、ついつい関係のないところに向くものである。
レジーナ家の家督に性別の縛りはない。
しかし、数年前にヴァーリは家督は継ぎたくないと両親に話し、現在保留状態。
その役目がフェレトに周って来る可能性もあるという事なのだ。
はぁ、とまた溜息が漏れる。

「お姉ちゃん、お母さんおどろくかな!」

「大丈夫、きっとすっごいおどろくよー!」

ふと前を見れば、まだ幼い姉弟。
嬉しそうにリボンと包装紙で綺麗に飾られた箱を抱えている。
見ているだけで仲のいい事が伝わってくる様な姉弟だった。

(フェレト、いい眺めだろう?
今日からここは私たちだけのひみつの場所だぞ!)

(わー!ほんと、ねーさま?)

そんな記憶にある幼い頃の会話を思い出しつつ、フェレトも嬉しくなってしまう。
曇っていた気分も、少し晴れた様な気がしていた。

「ギャハハ、お前それサイコー!」

耳に入った声に現実に引き戻されるフェレト。
姉弟の正面から、いかにもガラの悪い若者が飛び出してきた。
しかし、急な事で姉弟はそれに気付いていない。

「あ…」

声をかけようとしたフェレトだったが間に合わなかった。
予想通り、ドンッ!という音と共に2組はぶつかってしまう。

「あっ!」

「いてっ」

その拍子に持っていた箱が宙に放られてしまう。
呆気に取られて誰も反応出来ていなかった。

「っ!!」

考える前に身体が動いていた。
フェレトは箱を落とすまいと走り出していたのだ。
しかし、慌てて飛び出したために地面のわずかな隆起に気付かず、つま先を引っかけてしまった。

「あわっ!?~~っ!」

声にならない声で叫び、手をバタバタさせながら、フェレトは地面に伏していく。
その時、フェレトには世界がスローモーションに見えていた。

ばふっ

「……うー…、はれ?」

かなりの勢いで倒れたはずなのだが、それほど痛みはなかった。
バッ、と勢いよく身体を起こす。
きょろきょろと近くを見まわすが、箱は見当たらなかった。

「フェレト…、寝るのはせめて家まで待てないか?」

「え…、ね、姉様っ!?」

はっとして正面を見てみれば、揺れるセミロングの波がかった翡翠色の髪。
掌に箱を乗せ、涼しげに微笑む姉、ヴァーリの姿があった。
悪戯っぽく笑いながらフェレトの突っ伏していたところを指差す。

「へ?…、あ、カバン…」

そう、フェレトが倒れ込んだ地面には、ヴァーリの学生鞄がフェレトと地面の間に挟まれる様に投げ込まれていた。
この鞄でこけた衝撃を緩和していたのだ。
あまり感じなかった痛みの理由に納得して、身代りにダメージを受けた鞄を神妙な顔で拾い上げヴァーリに手渡す。

「気を付けろフェレト?
いまのはなかなかに痛いぞ」

くすりと可笑しそうにしながらも注意する。
フェレトは赤面して、俯いてしまった。
が、すぐに顔を上げると

「そうだ、アンタ…!
ごほん…あ、貴方たち、ケガはない?」

くるりと方向を変え、こけている子供たちに駆け寄るフェレト。
ヴァーリはやれやれといった顔を浮かべている。
どうやら子供たちにも大きなケガはなく、少し擦りむいている程度だった。
フェレトは安心した顔を覗かせると、またくるりと方向を変え厳しい顔つきになる。

「貴方がた、いったいどこに目をつけて歩いてますの?
大きなケガがなかったからよかったものの、少し気を付けて歩きなさいな!」

片手を腰に当て、怒り心頭の面持ちでいい寄るフェレト。
姉弟の方が慌てる様子だったが、当の若者たちは

「あぁ?そっちのガキ共がブツかって来たんだろ?
だいたいお嬢ちゃんには関係ねぇよ、どきな!」

ドンッ

反省どころか、気に入らないらしく突き飛ばしてきた。
その反応に、流石に頭にきたフェレト。
ゆっくりと右の拳を握ってプルプルと震わせ始める。

「くっ…、誰がお嬢ちゃんだ…!
人が下手に出ていればぁ…」

小さな声で怒りを露わにする。
フェレトはもはや爆発寸前だった。

ぽん

はっとするフェレト。
軽く叩かれた右肩にはヴァーリの手が添えてある。
そのまま手を前に出し、フェレトを制するヴァーリ。
冷笑を湛えて、すっと1歩前に出た。

「貴様ら、不注意で人にぶつかっておきながら詫びる気もない…。
あげく親切にも注意してやった私の可愛い妹にまで手を上げるとは…いい覚悟じゃないか?」

勢いはないが、ゆっくりと染み込ませる様な問答。
フェレトとは対照的であったが、その迫力は比較にもなっていない。
若者たちは明らかに怯んでいた。

「おい…あれって…」

「ああ、間違いない…」

集まってきた野次馬から、ちらほらと小さく声が上がる。
その対象がヴァーリである事に感付くフェレトだが、それがフェレトには理解出来ていなかった。
ヴァーリは少し不快そうな顔をしたが、続ける。

「ふん、興が醒めた。
気が変わらん内に消えろ」

「…お、おい!いくぞ!!」

虫でも払う動きで冷たく言い放つ。
若者たちは一目散にその場を走り去っていく。
そのまま周囲の人だかりに一通りの一瞥をくれるヴァーリ。
野次馬もまた蜘蛛の子を散らす様にいなくなった。

「ふぅ…、お前達も気を付けるんだぞ?
姉ならしっかり守ってやらんとな」

やっと優しい表情に戻ったヴァーリ。
小脇に抱えていた箱を返すと、ふっと笑ってそういい聞かせた。
フェレトもやっと一安心である。

「あ、ありがとね、お姉ちゃん!」

そういって頭を下げる姉弟に、特に反応するでもなく踵を返すヴァーリ。
呆気に取られる姉弟だったが

「じゃあ、ちゃんと気を付けて帰るのよ!
じゃあねっ」

小さく手を振りながら駆け出すフェレトに、大きく手を振り返す。
しばらく幼い声が家路に着く2人の耳に響いていた。

「やっぱ敵わないなぁ」

聞こえるか聞こえないかの小さな呟き。

「ん?何かいったか?」

「なぁーんにもっ」

どこか嬉しそうな2人。
陽はもう西に落ちかけていた。





----数日後。
晴れ間の広がる正午過ぎ。
レジーナ邸宅では、格闘術の手ほどきを受けるフェレトの姿。
相手は父・シュラグノー=レジーナ。
前大戦では「打撃王」の異名を取り、活躍した手練である。

「はははッ、まだまだその程度じゃパパは倒せんぞぉ!」

フェレトの猛ラッシュを汗の1つもかかずに捌いていく。
息を荒げながらも、攻撃の手は緩めないフェレト。
しかし、受け・流し・回避と有効打は1つも与えられない。

「ちぃっ…!はぁ…はぁ…、でやぁッ!!」

呼吸を整える間もなく追撃をかけるも、拳は捌かれ空を切る。
腕を取られ、そのままの勢いでフェレトは宙を舞った。

どさっ…

「くぅ……、ふぅ」

落ちる寸前に引っ張られた為に、ダメージはそれほどない。
大の字に寝転がり、薄い胸を上下させながら雲を眺める。

「今日は少し動きのキレが悪いぞ。
…どした、何か悩みでもあるのか?」

寝転ぶフェレトのそばにどっと腰を下ろし、顔を覗き込んで尋ねるシュラグノー。
フェレトは我が父の顔を見ながら呼吸を整える。

「…なんでもないよ。
格闘術の指導なら母様の方がいいカナ~、なんて…ねっ!」

悪戯っぽく笑ったかと思うと、身体を反り、逆立ちをする要領で顔面を狙った蹴り。
シュラグノーは、たまらず両手で受け止めながら後ろに跳んでいた。
反動で少し離れたところに腰を落とすシュラグノー。

「はっ…はっはっはっ!
そうでなくちゃなぁ、流石はフェレトだ!
しかし、ネフリータほどじゃあないが、パパだってまだまだ現役だぞ」

嬉々として、片手で顔を覆い笑うシュラグノー。
ネフリータ=レジーナ。
ヴァーリとフェレトの母であり、現レジーナ家の家督。
シュラグノーと同じく、前大戦では「翡翠の三日月」と恐れられた。
ちなみに、シュラグノーよりネフリータの方が断然強い。

「流石…かぁ…」

地に視線を落とし、小さく呟くフェレト。
急に大人しくなった態度にシュラグノーも不思議な顔をする。

「父様…、姉様は何で家督がイヤなのかな…?
確かに身体は強くないけど…、でも勉強だって出来るし、オトナだし…」

「フェレト…」

流石、そういわれて姉への劣等の感情が湧いてしまったフェレト。
情けないと思いつつも、同時に湧いた疑問を父にぶつける。
面食らったシュラグノーは、悩む娘の名を小さく口にする。
少し考えてから、言葉を紡ぎ始めるシュラグノー。

「ヴァーリにも…、あの子にも色々と思うところがあるのだろう。
気難しいところはあるが、そんなに身勝手な事をする子じゃあないしな。
それもあって、いまは保留してるんだが…。
ヴァーリの考えも変わるかもしれないしな」

虚空を見据えてそう疑問に答える、複雑な顔をしたシュラグノー。
父にも思うところがあるのか、フェレトにもそんな気がした瞬間だった。

「それにだ、お前もヴァーリも可愛いオレの子だ。
家督だとか難しい事はいい。
自分らしく誇り高く生きていってくれればいいんだ」

そう続けたシュラグノーは笑顔だった。
その顔を向けられたフェレトはもう何もいえない。

「第一、ネフリータに務まってるんだぞ?
フェレトにだって出来るさ。
お前には女神も付いてる。
それに、お前はネフリータによく似ているからな…」

優しい顔で語り続ける。
その笑顔も優しさも、目の前の少女に伝染していく。
フェレトの心はもう前を向き光り始めていた。

「……」

不意にフェレトの目も不敵に光る。

「そんなコトいっちゃってさぁ~。
後ろに母様いるよ?」

「な、なにっ!?」

フェレトの指摘に驚き、慌てて後ろを確認するシュラグノー。
その瞬間であった。

「せいやッ!」

ボゴォッ!

「がふっ!?」

フェレトの全体重を乗せた肘打ちがシュラグノーの腹部を捕える。
不意を突かれ、シュラグノーは何の反応も出来てはいなかった。
1テンポ遅れて腹を押さえ、ゆっくりと前のめりに倒れていく。

「フェレ…ト…、お前ってヤツは…」

バタ…

「隙ありですわ、お父様~」

にやにやと、してやったり顔のフェレト。
ピクピクと痙攣している父を尻目に、悠々と邸宅へと戻っていく。
その顔は晴れやかだった。

「ふふ…、流石だよ、フェレト」





それから数週間後。
すでに陽は傾き、東の空が暗みかかっている。
西日で赤く染まるレジーナ邸は、時間にも関わらず騒がしかった。

「姉様がいなくなったぁ!?」

高らかに響き渡るフェレトの声。
朝から出掛けていたヴァーリが帰って来ていないのだ。
昼過ぎには帰ると告げていたらしいのだが、日が暮れようとしているいまになっても姿が見えない。

「姉様にしちゃ珍しい…。
どこに行くとか聞いてないの?」

「なんでも、『いつもの実験』と出がけに庭師と話されたそうなんですが…」

『いつもの実験』。
魔法科学に関して秀でたヴァーリは、志を同じとする者と一緒によく実験を行っている。
フェレトも何度か話を聞いた事はあったが、場所は聞いても秘密にされていた。
腕を組んで考え込むフェレト。

「おっ、お嬢様!」

唐突な声に反応し、振り向くフェレト。
家の正面側から走り寄ってくる使用人の姿が見えた。
見るからに慌てた様子で、額には汗が滲んでいる。

「慌ててどしたの。
姉様から連絡でもあった?」

「そ、それが…、いま玄関先にこれが…」

見れば手には1枚の紙切れを持っている。
疑問を抱きながらも、フェレトはその紙切れに手を伸ばした。
目を見開き、みるみる内に顔色が悪くなっていく。

『娘は預かった』

短く、その1文だけが紙切れには綴られていた。
フェレトは驚きのあまりか、紙切れを手にしたまま動けないでいる。

「お嬢様、旦那様と奥様にも連絡致します!」

「あ…、えぇ、お願い」

力なく生返事するフェレト。
シュラグノー、ネフリータ共に会合で出掛けており数日帰ってくる予定はなかった。
いま連絡しても、すぐに帰ってくるのは不可能だろう。

(あたしだけじゃどうにも…
やっぱりあたしじゃ、姉様みたいに上手くはいかないよ…)

混乱して挙動不審にそわそわとしている。
思い詰めるフェレトだったが、そんな時、つい数週間前の事を思い出す。

(フェレトにだって出来るさ。
お前には女神だって付いてる)

我が父の言葉を思い返していた。
両親・姉とも不在のいま、自分がどうにかするしかない。
そう、少しずつ思い始める。
すっと上げた顔には、強い眼差しを携えていた。

「…留守を任されてるいま、あたしがこの家の長よ…。
家には最低限の人を残して、あとは手分けして探しなさい!
何かあったら連絡は密に取ること…、いくわよ!」

そう言い切ると、呆気に取られる周囲にも構わず弾ける様に走り出した。
遅れて、使用人たちも手分けをして動き出す。

「あのフェレトお嬢様があんな事を…」

「いってる場合か!さっさといくぞ!」



ところ変わって、ここはレジーナ邸から少し離れたところにある丘。
そこから奥へ進む山道に、この辺りを拠点にする2人組の野党の姿があった。
2匹の馬を連れ、その1匹の上に縛られたヴァーリが乗せられている。

「しかしアニキ…、このガキ噂の…、アレなんスよね…。
本当に大丈夫なんスか?」

野党の子分が曖昧な表現で兄貴分に尋ねた。
どうにも、はっきりとした口に出したくない様子である。
兄貴分が気だるそうに答える。

「あァ?大丈夫だよ…、このお姫様は新月の日を中心に能力が弱まるんだと
確かな情報源からだ、信用出来るぜ」

勝ち誇った態度で大まかな説明をする。
見て取れる余裕は自信の表れなのだろう。
そう、今夜は新月。
情報が本当ならヴァーリの弱体が極まる日。

「…ほぅ、よく知ってるじゃないか?
まぁ…、そうでもなかったら貴様らなぞもう消し炭だよ…。
この『レジーナ(女王)』の名に懸けて…な?」

情報を自ら肯定した上、当の本人は余裕たっぷりに挑発。
ろくに身動き出来ないにも関わらず、不敵な冷笑。
その表情は見下しているそれに他ならない。

「けっ、状況分かってんのかァ、お姫様よォ。
俺様の気分次第じゃあ、テメェの首なんざ胴体とお別れになんだぜ?」

「…ふん」

ヴァーリの生意気な態度に、凄んで脅しをかける野党。
しかし、余程の事がなければ金目当ての誘拐犯が人質に手は出さないと、ヴァーリは確信していた。
必要以上に触発させない様、鼻で笑って会話を区切る。
野党は揃って面白くない顔で歩を進めて行った。

「っかし、なんでまたお姫様はあんな場所にいやがったんでしょうねェ?
人目もあったもんじゃねぇっスよ」

「ん…?生憎とあそこは私の秘密の場所だったもんでな…」

またも、野党の疑問に軽々しくも余裕たっぷりなヴァーリ。
へぇ、と納得した様な子分に、兄貴分が凄みを利かせる。
またも会話は区切られ、無言のまま山の奥へと入って行った。

「そう、『ひみつの場所』…でな…」

すでにその大部分を黒が締めた空を見上げるヴァーリ。
小さな呟きは誰の耳にも届かなかった。



街の大半が展望できる高台。
夜が近付くにつれてカップルも増えてくるこの場所。
そこで姉を探し回ったフェレトが息を切らしていた。

「はぁ…はぁ…、姉様…、いったいどこに…
こう暗いと探すに探せないってーの…!」

膝に手を付き、身体全体で呼吸をしながら、きょろきょろと周りを見渡している。
しかし、当然ながらそこにヴァーリの姿はなく、フェレトは力なく視線を落とした。

「秘密の場所って事は…、あんま人目に付かないトコなのかなぁ
…ひみつの場所~ねぇ」

独り言を口にし、そこまでいってハッとする。
光明を得た様に、顔を上げ、そこから見える1点を見据えた。
確信をその眼に宿らせて、もう夜になろうという街を駆け抜けていく----。



夜の山道を行く2人の野党とヴァーリ。
月の光もなく、視界はいいとはいえない。
足元の状況もよくなく、馬に乗って走る事も難しそうだった。
しばらく馬の蹄の音だけが辺りに響いている。

「いつ来ても、ここらは歩き辛くていけねぇぜ」

兄貴分の口からも愚痴がもれる。
ヴァーリの目にも、野党の苛立ちが見て取れた。

「…軟弱だな」

蔑んだ様な一言。
その一言にも反応するくらいに野党の苛立ちも相当にキていた。
ガッ、と身動きの取れないヴァーリの首を掴み、強く締め上げる。
流石にヴァーリも、顔を歪めて小さく唸る。

「さっきからウッセェんだよ、ガキがァ!
いっそ口も利けなくしてやろうか、アァ!?」

一気に捲くし立てると、ヴァーリの首を掴んでいた手を投げる様に勢いを付けて放した。
反動でグラつくヴァーリ。
舌打ちの音が2つ、夜の森に反響する。

「貴様…ッ!……!?」

怒りを露わにしようしたヴァーリ。
しかし、グラついた拍子に不意に視界に入った存在に、一瞬ではあるが驚きが顔に出てしまった。
ゆっくりとまた、ヴァーリのに余裕が戻ってくる。
優しげな微笑を携え、空を見上げた、

「今夜は月が綺麗だな…」

「あァ!?テメェ何いって…、あぁ…?」

嬉しそうなヴァーリ。
その声に再び苛立ちを露わにする野党だったが、振り返った途端にその態度は対照的だった。
3人の目に、ふわりと宙空を翻る月が映る。
その月は漆黒の空の中で、煌びやかに輝く翡翠。

「ひ…、『翡翠の三日月』だ!!」

「バカなッ!いまは留守にしてるハズだぞ!?」

目に映った光景に慌てふためく野党2人。
お互いに、どうする?と目で訴え、混乱の色を隠せないでいた。
ヴァーリ1人が、馬上で悠々と口を開く。

「美しいに決まっている…。
あれは、かの『生命の樹』。
その『美』司るセフィラ、『ティフェレト』の加護を一身に受け…」

すっと、目を閉じるヴァーリ。
翡翠色をした三日月は重力のままに地に落ち、見えなくなっていた。

「未だ雷名轟く『翡翠の三日月』の血を最も色濃く継ぐ者にして…」

ドン、という音と共に地を這う様な低姿勢で影が3人の方向に迫ってくる。
野党2人は慌て、焦り、混乱に支配される。
身動きもとれず、音のした方向に目を縛られ、ヴァーリの言葉が耳を穿たれている。
はっきりと影の姿が視界に入った時には、すでに遅し。

「…私の可愛い妹だ」

にこっ、と笑うヴァーリ。
その瞬間、子分の顔面には鈍い音と共に、フェレトの右膝がめり込んでいた。
一瞬時が止まり、衝撃によって数メートルばかり吹き飛ぶ子分。
反動でフェレトはふわりと宙に浮く。

「姉様ッ!」

「なッ!?て、テメェ!」

着地しても、野党などには目もくれず、姉に駆け寄ろうとするフェレト。
しかし、それを残った野党がヴァーリに短剣を突き付け阻もうとした。

「そ、それ以上近付いたらお姫様の命は…づッ!?」

が、走りながらフェレトが投じた一石がそれをも阻んだ。
短剣を弾かれ、手を押さえる野党にヴァーリが余裕の表情で語る。

「姉の愛は神の愛。姉の怒りは神の怒りにも等しい。
妹のそれもまた…、同義だ」

冗談混じりにそういいつつ、満足げな笑みで野党を見下ろすヴァーリ。
言葉に気を取られた野党に、迫っていたフェレトの拳に気付く術はなかった。

ガスンッ!!

全力で振りぬかれた拳。
野党は首から順に回転しながら、呻きと共に暗い大地に伏した。
2人の野党はそのままピクリとも動かず、夜の森に擬態していく。

「姉様ッ!、ケガは…、ケガはないの!?」

すぐさま駆け寄り、縄を解く。
しかし、ヴァーリにはその慌てぶりが少々滑稽にすら見えた。

「…ぷっ、くく…。
ああ、大丈夫、ケガはないぞ…、ふふ」

自由になった手をぷらぷらと振りながら、微笑む。
先ほどまでの闘いぶりとのギャップに笑いが込み上げてしまった。

「なっ、何が可笑しいのよ姉様っ!」

あからさまに不満そうに、顔を赤らめて抗議する。
本人は紛れもなく真面目だったのだろう。

「ははは…、悪い悪い、なんでもない。
それよりも、よくここだと分かったな?」

馬から降りながらフェレトをなだめるヴァーリ。
誤魔化そうと答えの予想の付いている質問をする。

「あ…、だってさ、『ひみつの場所』だったんだもん。
あの丘にいってみたら、真新しい馬の足跡があったからさ?
もしかして、と思って…」

「…そうか」

手をわたわたさせながら説明するフェレト。
その姿にまた微笑みをこぼすヴァーリ。
そう、あの丘がヴァーリの『秘密の場所』にして、2人の『ひみつの場所』。
お互いがお互いの顔を見て、ほっとする。



「…フェレト」

ゆっくりと歩きだすヴァーリ。

「今宵は…、月が綺麗だな」

「へ…?今夜は新月だよ?」

2人して漆黒の空を見ていた----。
2009/05/07/Thu 07:20:38  Gift./CM:0/TB:0/
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